ビットカジノが独占で配信するライブカジノのテーブルに登場している元巨人の笠原将生選手。プレイヤーの勝利を願って応援してくれたり、残りの秒数もカウントしてくれるなど、普通のゲームにない演出が楽しめるんです!
そんな笠原将生選手の過去の経歴などを調査しました。
笠原将生選手とは?
笠原将生選手とは、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手です。
2008年のプロ野球ドラフト会議で、東京読売ジャイアンツから5位指名を受けてプロの世界へと足を踏み入れます。その後は、巨人へ入団し、7年間プロ野球選手として活躍を遂げました。しかし、不祥事により無期失格処分が下り、退団という結果となりました。
現在は、自身のYoutubeチャンネルを立ち上げたり、草野球チーム「東京ギャンブラーズ」を結成するなど活躍されています。
笠原将生選手の経歴
笠原将生選手の過去の経歴をまとめてみました。
プロ野球選手時代
2008年からプロ野球の世界に入り、190㎝以上の長身から投げおろされる速球が評価され読売ジャイアンツへと入団。その後、巨人に移り、主にロングリリーフ要員として活躍し、原辰徳監督からも高い評価を受けました。また、巨人の首脳陣も喜ばせる結果を残し、2014年の年俸は自己最高となる2000万円の契約となります。
野球賭博事件で解雇
2014年に自己最高の年俸契約となった翌年の2015年に、「原将生容疑者を賭博に関与した疑いで逮捕した」という衝撃のニュースが舞い込んできました。
というのも、同じ巨人の選手で同僚だった福田聡志選手が野球賭博に関与していたことを発表したことにより捜査線上に浮上。そして、松本竜也選手とともに野球賭博に関与していたと発表しました。
これをきっかけに、無期失格処分となり実質的にプロ野球界に戻れなくなるという結果になります。
引退後
笠原将生選手は、プロ野球界を去った後、様々なところで活躍しています。
地元で「ウニ料理専門店」をオープン
引退後、地元福岡県の中洲で「博多中洲 うに屋 将」という、ウニ料理専門店をオープンさせています。福岡市でも人気のお店で評判も良く、2017年にリニューアルオープンもされました。しかし、リニューアルオープンをきっかけにお店の権利を母親に譲り、現在は経営にかかわっていないそうです。
歌舞伎町でホストに転身?!
母親にお店の権利を譲った後の2018年に週刊新潮によって歌舞伎町のホストクラブで働いていると報じられました。
笠原将生選手は東京にBarをオープンすることを目標にしていたそうで、経営のノウハウを学ぶために働いていたそうです。
とはいえ、巨人時代のファンなどがお店に足を運んでくれ、人気だったといいます。
Youtuberとして活躍
2019年に自身のYoutubeチャンネル「笠原チャンネル」を開設しました。現在は10万人を超える登録者数を誇っており、野球の解説やプロ野球界の裏話などを投稿しています。
初投稿では、巨人時代のユニフォームに袖を通し、現役時代より体重が約30kgも増量してしまったと語っています。くわえて、賭博事件で受けた影響など過去についても動画内で語られました。